オーストラリアの歴史 8

「ボールド・ジャック・ドノホー」程、大胆不敵であった囚人はほとんどいませんでした。


彼ほどの悪名を馳せた者もいません。


囚人の中には、追われる身より、追う身を選んだ者もあります。


ロンドンで御者をしていたイスラエル・チャップマンは、街道沿いに出没する盗賊で、1818年にオーストラリアに流されました。


しかし1821年に条件付赦免を得ると、そのまま警察隊に入隊。


ジョージストリートにあるシドニー駅所属の刑事巡査となったのを振り出しに、後には「ジョージストリートのランナー」として知られる様になったのです。


チャップマンは1829年にロンドンに戻りますが、1832年には、自由入植者として再びオーストラリアの土を踏みました。


その1年後、植民地政府は6人の監督官の1人としてチャップマンを指名しています。


個人の下で働き続けた囚人達も、生活に安らぎを得ることができました。

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